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第二章 

10話)家に帰った後



 何件か店をはしごして、買い物を済ませた後は、家に戻っていつものように決まった家事をこなす。
 洗濯物を取り入れて、掃除機をかけ、ご飯を作った。
 ほどなくすると、翔太が帰ってくる。
 いつものように出迎えて、ご飯をよそう芽生の様子が、いつもと違うのを、何気に感じたらしい。
「ご機嫌だな、芽生。・・・男でも出来たのか?」
 ご飯をパクリ。モグモグしながら聞いてくるので、吹きだしそうになる。
「なっ何でそんな風に思うの?」
 彼の前で、動揺を隠すのは、とても難しい。猛烈な勢いでおかずを口に入れながらも、翔太の瞳の色は冷静だ。
「お前の事だから、もうヤッちまったか?・・・言われるままに股を開いたんじゃないだろうな。」
 さらり。といつもの調子で言ってこられて、芽生はカッとなる。
「なんで翔太にそんな事言われなきゃいけないのよ!
 心配されなくっても、付き合ってる人なんていないわっ。」
 ドン。とテーブルを叩いて怒鳴り返す芽生の剣幕に、
「おぉ恐っ。」
 肩をすくめるが、こたえた様子はない。ケロッとした顔をして、
「いい男なのか?・・・きちんと見分けろよ。お前の事大事にできる奴か、体だけを目当てにする奴か。」
 避妊の知識さえ、ろくにない奴なら、言語道断だ。
 と、言ってくる。
 今日に限って、いつものように反論できなかった。
 保健室での出来事があったから・・。
 優斗の行為に応えてしまった自分に思い至り、彼に対してもトキメキのようなものを感じている気持ちまでも思いだしてしまった。
「・・・。」
 と、返す言葉もなくフルフルとこぶしを握りしめる芽生の様子を、翔太はジッと見つめるだけで、それ以上は何故だか言ってこない。
 無言で椅子に座り直し、食事を再開した後は、妙にシーンと静まり返った食卓風景になったのだった。
「・・・一度、家に連れてこいよ。」
 お前にふさわしい野郎かどうか、俺が見極めてやるから。
 食後のお茶を飲み終え、ごちそう様と言った後の彼のセリフがこうだった。
「だから!何度言わせるのよ。そんな人いないんだってば。」
(優斗とは、付き合ってるとか、そんな関係じゃなんだから。)
 ストーカー問題が、ひと段落したら、すべて終わる関係なの!
 悲鳴のように叫ぶ芽生を、首を傾げてジッと、見つめていた翔太は、何か合点がいったように小さな声を上げる。
「そうか・・まだ片思いなんだ。・・・そうかあ。芽生にもやっと春が来たんだな。」
 そんな彼のコメントは、まるで母親か、父親のようなセリフだ。
 翔太のとんでもない勘違いだった。
「やめて気持ち悪い。何をオヤジみたいなセリフ吐いているのよ。」
 カンカンに怒って怒鳴った芽生は、二階へあがろうと後を向いた翔太にタックルをかけてゆく。
 翔太は、芽生が体を寄せてくるのを嫌がるのを知っているからだった。
(いらない事言ったから、わざとしてやるっ!)
 彼の腰に巻いた腕に、さらに力を込めてギュウと抱きついてゆくと、翔太はビクッと体を震わせた。
 芽生を淫婦扱いして、自分はまるで聖人君子のように揺るがない顔をする翔太なのだが、芽生に触れられると、さすがにこまるらしい。
 瞳の奥に、欲情の炎が立ち上がり、あっという間にそれを抑える瞬間を、芽生は何度も目にして、同時に歯がゆい思いを抱えていた。
 一度でもいいから、彼の“タガ”のようなそれを外させてみたい。と意地悪な気持ちになるのと、あまりやり過ぎると、微妙な感じで続いているお互いの信頼関係が崩れてしまう可能性が大だ。というくらいは、さすがに分かっていた。
 だから、いつもは露骨に彼の体に触れる愚を起こさない芽生だったのだが、今晩はいつもとは違った。
(私は他の男の子なんかより、翔太がいいんだよ。とっくの昔から、翔太に抱いてほしいのに・・・。)
 そんな言葉は、絶対に口にはできない。想いを込めて体を寄せる芽生に、
「・・・・やめろ。」
 の、翔太の言葉だった。
 彼は体を震わせた後、少しの間沈黙していたが、ポツリと発した言葉がこんな言葉だった。
 自身で、芽生の手を振りほどこうともしなかった。なのに、しゃがれた声で出したその言葉は、徹底的に拒絶の姿勢を表わしていた。これ以上、彼に触れていることができない。
 芽生は何も言わず、ソッと体を離すと、茶碗を流しに運んでゆく。
 速やかに二階に上がってゆく翔太の足音を耳にしながら、ポロポロと涙がこぼれてゆくのを、拭う気にさえなれなかった。
 いつもそうだった。
 翔太の優しさは、中途半端に芽生を苦しめるのだ。
 身内に対する愛情のみを、芽生に注ぎ続けようとする翔太の瞳は、芽生を異性の女性として映す瞬間がある。
 それが分かるだけに、余計な事をしたくなるのだ。それ以上の愛情を求めてみたくなって、こっぴどく断れられる行動をとってしまう自分は、愚かとしかいいようがない。
「うぅ・・。」
 涙が出てくると、鼻水まで出てくる。グシャグシャになっているので、とてもみっともない有り様だ。一人っきりで泣いているのだから、どうでもよかった。
 けれどもさすがに涙と鼻水が頬を伝って服に付きだすものだから、テッシュで拭って鼻をかむ。
 その後、何度も鼻をかみながら、事務的に食事の後片付けをしてゆくのだった。
 毎日の家の用事は、いらない事を考えて落ち込む時にはとてもいい癒しの時間になってくれる。
 風呂を沸かして翔太の部屋の扉をノックして、
「お風呂入れるよ。」
 と声をかけと、
「おう。今すぐ入るわ。」
 と、いつもの彼の声が返ってきたので、ひとまずは安心するのだった。
 今回の事で、翔太は芽生の事を、嫌いになったわけではないらしい。


 翔太が入浴した後、芽生も風呂に入ってさっぱりした頃、優斗からのメールがあった。
簡単な記述のみの、遊園地の場所と待ち合わせの駅、時間のみが記されたメールの内容だった。
 芽生は『了解』とだけ打って、早めにその夜は床についたのだった。